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劇評完成

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 5月 6日(日)14時12分9秒
  四月公演は春爛漫というよりも、
晩冬から初夏へひとっ飛びの季節の中にありました。

http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/12haru.htm

 

寸評(入替二日)

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 4月22日(日)09時37分30秒
編集済
  劇場へ足を運び客席に座っての四時間、想像よりも実体験が勝った一日だった。
「金閣寺」…マクラから荘重にして幅も大きさもありそのまま大膳の描出にも迫って上々。
      三味線は雪姫の出の哀と華をチン一音から聞かせる。
      人形もその床と相乗効果で魅力的な舞台となったが、東吉は整いすぎて颯爽とせず記録映画会の玉昇が未だに超えられない。
「爪先鼠」…「夕日に向へば龍の形」暮れ六ツの鐘から究竟頂は星月夜に夜桜を加え白煙の怪しさを舞台上の視覚効果としても是非実現させたい。
      跡は抜群の進歩で若手の伸長力を耳にするのは心地よい。
「六角堂」…長吉に何故クドキの節が付けてあるのか、今一つ活かし切れていなかった床。
「帯屋」…前、繁斎は宵庚申の伊右衛門とはまた異なる。婆もそう。女房絹の迫り方が胸を打つ。
     後、女二人(絹と半)の描出が胸に応える。とりわけ繁太夫節が付けてあることの表現が抜群。
     人形は床と三位一体、中でも女二人は筆舌に尽し難く劇場に足を運んでいただくより他はない。
     半兵衛の遣い方に疑問。女房の立腹雑言を手を振っての制止表現は軽薄に過ぎないか。夜具を噛んで忍び泣きとの解釈も同様。(詳細は劇評で)
「又助住家」…端場、課題だった男どもの表現が改善。中堅陣の序列を覆したか。
       切場、手が鳴ったのは麓太夫場(今こそその価値を見直されるべき)を語りきってこそ紋下格という証。
       (ホイやハアだけでも心情を描出している古靱と三代清六はそのまた上の別格だとも思い知る)
       人形陣も手が鳴るという三業揃っての域にまで到達していたということ。
       初日苦言を呈した庄司は見事に孔明首の性根を表現し得るまでになったし、
       庄屋は少しでもズレると愁嘆場をぶち壊すKYになるところだが段切での存在理由に合致し賞賛すべき理想的遣い方。
「草履打」…岩藤が床人形ともに完成した。尾上は節付が美麗なるが故に哀切となる珠玉。無念も伝わる。段切の三味線がまた絶中の絶。
「廊下」…今回の初の出は気掛かりで気が急いてそわそわしている感が主。
「長局」…前半の床は辛抱の一語。初の描出が心中泣いてばかりで違和感もあり帰宅したくなる。
     ところが初日散々だった後半が引き締まり衷心衷情伝わってこれはと思うと手が鳴ったのは我が意を得たり。「凝り固まりし烈女の一念」こうでなくては。
・展示室…折角の企画も入場料が必要と思われたらしい。こういう時こそ呼び込みをするなどボランティア活躍の場だろう。
・イヤホンガイド…割引のお知らせあり。利用者伸び悩みがそれを必要としなくなったという意味ではないのが悲しい。
・客席…舞台と一体感があった。やはり三業三位一体に観客との四者一体がないと最高の舞台は生まれない。
 

寸評(初日)

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 4月 8日(日)19時04分37秒
編集済
  「又助住家」…端場、男連はまだ不足だが女房のクドキが哀切ある美しさで絶品は三味線の功も大。
       切場、古靱と三世清六による超絶奏演が残されている以上もはや書くことはないが、又助の心情掘り下げがカギ。
       人形はいずれも不足気味。庄司はすべてお見通しなのだから又助と求馬の争いをハラハラして見てはいけない。
       柝頭のズレがひどいわ、「奥庭」のカゲも気合が入っていないわと、初日の欠陥もそこここに目立った。
「草履打」…鶴ヶ岡代参帰りの神前で局が中老を苛めて自害まで決意させる、これが実に難物だと痛感した。
      尾上の品格ある美しいウレイは届いたが、自害までの無念さは加害者被害者双方とも感じられなかった。
「廊下」…上手い。切語り格が立端場を勤めるからこそ出来るもの。
     お初の人形は主人尾上が心配で一睡もしていないという出。これで性根が決まった。
「長局」…掛合が案外よく緊迫感もあった。ただしお初の半狂乱が男声になって乱暴に聞こえるのは四段目の奥でもあるし疑問。かつ仇討ちを決意する後半は発散より収斂であるべき。
「奥庭」…ここの掛合も悪くはない。お初は抜擢だろうが平板なところあり。
「金閣寺」…これまで後半の碁立てに気を取られていたが今回ここから四段目切場であることがよくわかった。ゆえに大膳の憎々しい大きさの描出が至難ともよくわかる。
「爪先鼠」…大膳はやはり至難だが、ここは眼目の「無惨なるかな雪姫は」からが絶妙な三味線と相まってすばらしかった。
      跡、力感あるが久吉のコトバなど説明的で平板。段切「こゝは」もブチブチ 。
      人形はまずまず。雪姫は初役とは思われないほどで雪舟の孫娘としてニンに合う。
「六角堂」…ここのところ持ち役。今回は観客にも恵まれた。
「帯屋」…前、絶佳。繁斎の描出がとりわけ耳に残った。
     後、絶佳。長右衛門や呉服屋十兵衛や南方十次兵衛等に特徴的な語り口、古靱(山城)の場合それが姫だった。
「道行」…シンワキともに悪くはない。
     人形陣は名人達者が勢揃いの感。チャリも悪ノリせず性根を掴んだ好演。
・展示室…昭和初期の四ツ橋文楽座の入口を再現し、中の展示ともによく工夫されている。
・プログラム…碁立ての解説が親切、知識の泉は頭注が付されて更によくなった。
・案内係…客席での諸注意が徹底。前のめりの鑑賞も確かに対象となろうが、三業一体の究極の舞台だと自然にそうなるものでもある。
・補助金カットがカンフル剤になったか。三業もそうだろうがまず客席に熱意を感じた。
 

音源リスト更新

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 3月 4日(日)10時07分5秒
  情報資料室「音源リスト」更新ファイルを頂戴しましたので早速反映いたしました。
今回はコロンビアから発売された「豊竹山城少掾義太夫名演集」によるものです。

「道明寺」…西風二段目切場の代表的演目の決定的奏演とされる。
      (個人的には段切にかけて清六との冷ややかな距離感が滲み出てしまっているような気がしてなりませんが)
「先代萩御殿」…見事なもの。義太夫節の面白みが十二分に味わえる。
「葛の葉子別れ」…大和風の魅力がよくわかる。三世清六が相三味線で勤めた時をも想像させる。
「鬼界が島」…古靱太夫(山城少掾)によってこの世に残ることが出来たと言ってよい至宝。
「流しの枝」…駒太夫風の素晴らしさを伝えてくれる一品。劇場ライブがプラスに働いている。
       (せめてあと五年早ければと惜しまれはしますが)
 

正月公演評

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月30日(月)23時23分17秒
  今年は何とか当月中に完成いたしました。
パソコンに向かい続けると、目よりも先に足先が参りました。

http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/12shou.htm

 

沼津比較

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月16日(月)00時08分2秒
  文楽補完計画で検討してみたいと思います。
まずは実際にお確かめ下さい。

http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/hokan11.htm

 

桜丸切腹(続)

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月15日(日)10時26分50秒
  「右の肋へ引き廻し」で八重が邪魔になり注意されていたのはやはり工夫が必要な証拠。
膝に引き据えられた後どうやって桜丸から自然に距離を保つか。
もう一つ。
柝頭は劇に没入している観客を現実に戻すものだから、
それより後に人形が新たな動きをしてはならない。
しかも「佐太の社の旧跡も」と縁起が語られている(過去が現在化している)のに、
屋敷を後にして西国へ旅立つのを桜丸への未練で打ち消す遣い方は以前から疑問。
とはいえこれも岩波文楽浄瑠璃集に記載の伝承ある遣い方である。
情愛第一ということだろうが浄瑠璃文学そして語りという形式を軽視する結果になるのには賛成しかねる。
これを含めて今回も人形については劇評で詳述する。
 

狐忠信

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月15日(日)00時10分20秒
  道行は源太で切場は検非違使そして孔明。その源太がよく際立っていた。
「薙ぎ立て」のあとの合が素浄瑠璃に比べて長いのは人形の動きのためだが、
これまでどうもその動きが手鞠でもあるまいしよくわからなかったが、
今回文字通り「薙ぎ立て」だから動作を機敏にして合を短くしたのは流石。
一方、
切場のフシオチでキョロリと動物的に極めていたものを控え目にしたのは、
親子の情愛・愁嘆を途切れさせないためであろうが、
孔明という超越的カシラで遣われている以上は困難でも公演前半の方を支持する。
 

寸評(公演後半)

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月14日(土)23時58分8秒
  「千本道行」…節付けの通り「それより吉野に」がオモテで届く当然のことを当然に語れる素晴らしさ。
「八幡山崎」…不思議・怖気のところなど見事。二の糸の課題は皮に当てて打楽器奏法にしてはならない箇所をどうするか。
「河連法眼館」…「くわん上り」「くわ焔」これもまた紋下の条件を満たしている。
「土佐町松原」…音遣いの重要さと困難さはあるが、何とかなるものだとも感じた。ツメで客席を掴むとは大したもの。
「沢市内」…やはり沢市の表現がよい。唄二つもそれと見事にリンクしている。
「山の段」…お里を踊りながら飛び込ませる「ほんに思へば」からが物足りなかった。
「七福神」…大正末年に鴻池当主が自費でSPに録音させただけのことはある。人形と床のちぐはぐは解消された。
      琴は三味線とピタリと来ず胡弓はまだまだ。柝頭は人形を見てではなく床を聞いて入るもの。
「茶筅酒」…悪くはないのだが、うーむ。
「喧嘩」…「ほんの遅いの/お春殿」のカワリ不十分。米俵を投げるのはこれで勝負しようということではない。
「訴訟」…白太夫が応えない。強く語ると老人の作りが壊れるようではあと十年必要か。
     とはいえマクラで喧嘩で舞い上がった埃を収めた力量は認める。
「桜丸切腹」…文字大夫当時、住大夫襲名以降、近年の枯淡、どれを選択するか。
「平太郎住家」…端場はお柳がどうも耳に障る。前へよく響くのは結構なことだが。
        奥は三味線を堪能。「伝へ聞く~」がよくなった大夫は将来がある。
 

情報資料室

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月14日(土)21時49分41秒
  新たに「引田家資料 目次」を掲載し、関連ファイルを補訂いたしました。
トップページのリンクよりご覧ください。
 

桜丸切腹

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月 8日(日)00時34分59秒
編集済
  「身近く召され」ても「下々の下々たる牛飼舎人」では武士の切腹などあったものではないが、
そこを「下郎ながら恥を知り義のために相果つる」べく切腹という形式を願い出た桜丸である。
白太夫もそれゆえに撞木を刀として介錯の役を務める。
八重は眼前夫の自害を受け入れられず九寸五分に縋り付いてでも止めようとし、
桜丸はそれを右膝に押さえたまま腹へ刀を突き立てるというのは自然な成り行きである。
この遣い方は越路引退披露時も岩波文楽浄瑠璃集掲載時も同様の伝統なものでもある。
しかし、それが見苦しい未練な形を伴うものとなっては作法を乱し切腹を単なる腹切りに堕してしまいかねない。
世俗的で若い八重(この性根は初段「加茂堤」でよくわかる)ゆえの衝動的行為はよくその心情を表すものではあるが、
ここは桜丸に作法に則った立派な切腹をさせてやらなければならないところなのである。
理屈になるが膝にひしがれたままでは「喉のくさりをはね切つて」の血潮にも染まろう。
ちなみに詞章では「弓手の脇へ突立つれば八重が泣く声」となっていて、
現行の遣い方でも八重はその通り泣くのだがではそのタイミングがわかるのは何故かというと…。

もう一つは段切白太夫の動きである。
出立するも後ろ髪を引かれて桜丸にもう一度別れを告げ梅松桜三本の愛樹に向かうのは納得できるし、
最後はやはり下手近くで西国への旅立ちの体を見せるというのも道理である。
ところが、その往復が肉体的にも精神的にも厳しい老体とは思えない素早さなのは気に掛かってならない。
これも諦めきれない悲しみと未練とそれを敢えて断とうとする振る舞いであるのはよくわかるのだが、
ジタバタと右往左往しているとなっては「白太夫は片時も早く菅丞相の御跡慕ひ島へ赴く現世の旅立」の詞章にも背くことになると思われるのである。

いずれにしても根本からその遣い方を否定するものではなく、
微妙かつ神経の行き届いた遣い方を詞章を十分読み込んでしなければならないということなのである。
 

寸評

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月 7日(土)22時25分4秒
編集済
  「七福神」…道具方と舞台効果に拍手、撒手拭の工夫もよし。詳細はネタバレになるゆえ是非劇場で体験を。
      床はあの高い調子がまず結構でシンもちゃんと届かせる。人形はとりわけ恵比寿がうまい。
      しかしながら他の人形が床とちぐはぐ感があったのは遺憾。柝頭のズレも。
「茶筅酒」…雰囲気は出ているのだがどうもずいぶんと時間が長く感じられた。
「喧嘩」…いつも喧嘩だなこの太夫はと役場を見て思っていたが今回はカワリ足取りをはじめ総体として上出来で満足。三味線の功も大。
     人形は松王の空胴をしたたか見せられたのと喧嘩相手の梅王が投げ付けられた米俵をわざわざ受け取りに行ったので苦笑するしかなかった。梅王の極まり型は絶妙。
「訴訟」…ここから切場。白太夫がいかに難しいかが今回よくわかった。ここの出来で桜丸が切腹しても泣けなくなるということも。八重のウレイは賞賛する。
「桜丸切腹」…床は絶佳。人形には言いたいことがあるゆえ別項にして書く。
「平太郎住家」…周りを見たらいつの間にかこのクラスでこの太夫のみになっていたという端場。筒一杯の姿勢は好感。
        床は三味線の力を以てしても木遣り音頭で口直しという程度では太夫の道遠し。
「千本道行」…景事と道行は違うという意味が今回の床でよくわかる。
       静は頼朝の前で堂々と義経を慕って舞って見せたという芯の強さがある形。忠信は今回初めて狐の化身だということを随所に感じ取れた。
「八幡山崎」…いかに節付がすばらしいかがわかる。「夕顔棚」に続いて見事なもの。三味線は前半の二の糸が課題。
「河連法眼館」…朱塗り綱紋の見台に相応しい=次の紋下格相応の出来。相三味線も見事な女房役。狐の情愛に涙してこれで義経の述懐が応えれば言うことなし。
        人形は文字通り狐忠信で仕草もよく研究されていて明治期親玉玉造の逸話を思い出した。宙乗りの工夫が美の極致にもなるとは脱帽。
「土佐町松原」…切場語りが二人も登場するのでこれがつく。マクラをはじめ随所に音遣いの重要さと困難さを痛感した。
「沢市内」…沢市の気が詰まる気がふさぐという描出がこれほど出来たのは流石。
「山の段」…沢市の覚悟の強さ。お里の狂乱。所詮は明治期の作という説も団平の節付で保っているという話も納得できた。
 

年始め

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2012年 1月 4日(水)22時17分41秒
  更新ファイルを反映いたしました。
トップページより確認下さい。

初春公演には明日参ります。
 

冠詞

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年12月30日(金)22時47分18秒
  上方文楽とか大阪文楽とか間に「の」を取り除いた表記はしっくりこない。
しかし、世界無形遺産に認定してもらった人形浄瑠璃・文楽が、
(ユネスコが勝手に定めたのではなく、願い出たのは日本の側であることを忘れてはならない)
特定府市からの補助金が切り捨てられて認定を返上するなどあり得ないのだから、
その時に亡びるのは「上方」とか「大阪」とかの冠詞を付けた文楽だろう。
禍転じて福となす楽天主義者なら普遍性を手にするチャンスだと言うかも知れない。
伝統芸能に効率主義を持ち出して発言するなどはまともな人間のすることではないが、
おそらく文楽の三人遣いは世界に例がないなどと威張って見せたら反発されたのだろう。
虻が飛び回る山間の宿で支配人がこれこそ大自然そのままの証拠ですと自慢するようなものだ。

叢虎氏の発言もまた、
先代先々代の味付を収得できないくせに補助金は取得し続ける現状への鋭い批判であろう。

桐の葉は木に朽ちんより秋来なば先駆散らん名のみなる廃墟をすてて醒めて起て男の子ぞ我等
 

味付

 投稿者:叢虎  投稿日:2011年12月 3日(土)21時34分42秒
  「時代に応じて味付を変えよ」とは新任市長の弁。
客寄せ演芸という面ではそうかもしれませんが。
変えるには、まず先代先々代の味付を収得せねばなりますまい。
 

触発

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年11月24日(木)23時43分44秒
  錦秋公演評UP致しました。
今回は、「書写山」と「菊畑」の舞台を視聴している間に劇評の方針が決定しました。
始めに理屈ありきではなく、舞台ありきなのであります。

http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/11aki.htm

 

鴻池幸武

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年11月13日(日)00時28分34秒
  「いつたいかくの如き「風物」と稱する特殊な曲は、
 音樂的旋律を以て曲を進行さす事を主として居り、
 從つて拵らへを設けたりして露骨な劇的表現がある程度制限される、
 それだけに一際肚構えが出來てゐないと劇音樂として完成しない。」(「一の谷二段目」)
                           『淨瑠璃雜誌』昭和一六年四月

 

寸評(二)

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年11月13日(日)00時21分55秒
  「道中双六」…立派なもの。安心して浄瑠璃に身を任せられる。ツレは地が不安定。
「子別れ」…大和風というのは分厚い色気や勝手な感情移入を禁じてある。詞も僅少。
      面白く聞こえて気の毒なのは一面では風を語れている証拠でもある。とはいえ、まだまだ。
      しかし肩衣の紋には恥じない出来で摂津大掾の若い頃を勝手に想像してしまった。
      重の井の詞「出てたも」で太夫がウレイを込めているのに客席を笑わす三吉の人形は瑕瑾。
「沼津」…代役に期待したが×。十兵衛など棒読みに近く、故師の傑作をコピーと呼ばれようと聞き込まないとは信じられぬ。
     後半は一世一代の芸。次はもうない。あと一週間。劇場に行かねば一生後悔する。
     人形は十兵衛が床のために割を食ったのには同情する。平作とのコンビは今後四半世紀の黄金となるもの。
     しかし平作の最初の南無阿弥陀仏で客席のそこここから少しの笑いが起こったのには衝撃だった。
     道具替わりの大道具方の工夫には客席からも嘆声が漏れていた。
『鬼一法眼三略巻』…絶佳。今後五年いや二年でこの陣容がトップを張るのは確定した。
          中でも人形陣の素晴らしさには感激した。
          今夜の客席は人形浄瑠璃の真髄を知る人ばかりで舞台との一体感も抜群だった。
「書写山」…口で太夫(立派な端場語りとなった)が「兄弟子の嗜み」「それにつけても」で語り分けたから人形も合わせるべき。
      奥は太夫が後半を前回よりも進歩を見せた。やはり三味線の功。津・伊達との比較はまた別の話。
「菊畑」…前半に手応えを感じた。綱大夫の家の芸。三大狂言よりも十五年古い燻銀。
「五条橋」…床も結構だったが、人形が動画はもちろんどこを静止画にしても完璧な出来。
悪い風邪が流行っていてアナウンスも気の毒だったが、手・足の専属モデルは命懸けでその美しさを守るとか。
 

百年待てども

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年11月 5日(土)10時02分18秒
  根本の誤解とは何ぞや。
作家及び所謂批評家が、批評の本旨なりと思惟する所とは何ぞや。
一言にして尽せば、批評を以つて附属的或は従属的事業となすこと是れなり。
(中略)
批評とは何ぞや。
これ亦独創的事業の一なり。
創作あつて後に批評来るに非ず。
創作と相並びて、人世の研究に向ふもの、これ即ち批評なり。
されば縦令詩歌小説なしと雖も、批評なるものは、依然として存立すべし。
                           (長谷川天渓『批評の本領』)
 

寸評

 投稿者:勘定場メール  投稿日:2011年10月30日(日)05時42分21秒
  『鬼一法眼三略巻』
 白木の真木柱、爽快な秋晴れ。実に清々しく心地よかった。本公演の白眉。
 シュタイナー、ペスタロッチ、隣の芝生など羨まずとも、ここに教育論の真髄がある。
「鞍馬山」…健闘。三味線代役は音の厚みはまだだが間がいい。
「書写山」…口、よい。
      奥、久し振りの快打。やはり二段目が合う。三味線の功も大。とはいえ初日で段切のこの声はどうなのか。
      鬼若の人形、最初から腕白坊主で遣えばこれほど簡単なものはないが、
      常に下手へ顔を背けさせたところが抜群の解釈。ここから教育論は始まるのだ。(詳細は劇評で)
「兵法」…呂大夫で聴いた時の浄瑠璃が今も耳に残る一段を掛合。しかし出来はよい。
「菊畑」…前半菊花を見るに死の覚悟有り、実の兄弟の探り合いと、ここが完成すればもはや敵無し。
「五条橋」…堪能した。贅沢だが、かつてはこの陣容で他狂言の切場や立端場もそれ以上のものであったのだ。
 人形陣はどれもすばらしく、次世代の幹部級は大丈夫との確信を得た。
「道中双六」…やはり太夫は三味線によって育てられ一流になってゆくものだと痛感した。
「子別れ」…代役の音遣いに大和風が鮮やか。しかしその上に情をのせねばならないのだが、すすり泣きはちらほらあった。
      三味線は突然の指導的立場に困ったかもしれない。
 人形は師弟共演の見本のようで、大師匠はそれとして弟子がよく遣っていて感心した。
「沼津」…前半、小揚げという普通名詞が固有名詞となっている意味がよくわかる。
     後半、段切平作の人形にピタリの詞に感動しこれが文楽人間国宝の芸だと熱く語る中年男性に納得。バロック芸術とも。
     丸本歌舞伎を演じる役者は須くこの語りを我が物とすべし。
     また元役者が太夫となるのに叩くならこの門しかあるまい。
     文楽再先端進化系統樹の極北。三味線も道具替り三重など裏拍かと思ったほど。
     人形は轡虫の解釈もまともになっていたが、何と言っても十兵衛が泊まりを決めた元瀬川でお米の魅力が第一。
「紅葉狩」…太夫は声色遣いや物真似師ではないという証拠に、浄瑠璃が血肉化しているだけで更級姫になる。
      三味線のシンは言わずもがなで、二枚目がマクラの節付けが道行だとわからせた。
      人形は姫より鬼女。しかし左を我が弟子でまかなえないのは淋しい。扇遣いで手を取るのは流石。

プログラムの鑑賞ガイドが見やすくなったかわり大幅に字数減少となっていたので考える。
その位置付けは、あらすじや知識の泉に比してどうあるものだろうと。
今回第一部を読み、やはり企画制作者の自己主張であって鑑賞ガイドではないと感じた。
その企画制作、十年以前から感じていたことだが、今回はあまりにも露骨な狂言建て。
少年カシラを並べ立て、東海道中を連続させ、ミドリ建て特有の悪弊に陥っている。
とはいえ、今や観客に合わせてむしろ重ねることで印象付けを図ろうとしているのかもしれない。
人間国宝陣も第二部に固めてあるから、集中と執拗がコンセプトだとも言えるのだから。
 

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