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劇場へ足を運び客席に座っての四時間、想像よりも実体験が勝った一日だった。
「金閣寺」…マクラから荘重にして幅も大きさもありそのまま大膳の描出にも迫って上々。
三味線は雪姫の出の哀と華をチン一音から聞かせる。
人形もその床と相乗効果で魅力的な舞台となったが、東吉は整いすぎて颯爽とせず記録映画会の玉昇が未だに超えられない。
「爪先鼠」…「夕日に向へば龍の形」暮れ六ツの鐘から究竟頂は星月夜に夜桜を加え白煙の怪しさを舞台上の視覚効果としても是非実現させたい。
跡は抜群の進歩で若手の伸長力を耳にするのは心地よい。
「六角堂」…長吉に何故クドキの節が付けてあるのか、今一つ活かし切れていなかった床。
「帯屋」…前、繁斎は宵庚申の伊右衛門とはまた異なる。婆もそう。女房絹の迫り方が胸を打つ。
後、女二人(絹と半)の描出が胸に応える。とりわけ繁太夫節が付けてあることの表現が抜群。
人形は床と三位一体、中でも女二人は筆舌に尽し難く劇場に足を運んでいただくより他はない。
半兵衛の遣い方に疑問。女房の立腹雑言を手を振っての制止表現は軽薄に過ぎないか。夜具を噛んで忍び泣きとの解釈も同様。(詳細は劇評で)
「又助住家」…端場、課題だった男どもの表現が改善。中堅陣の序列を覆したか。
切場、手が鳴ったのは麓太夫場(今こそその価値を見直されるべき)を語りきってこそ紋下格という証。
(ホイやハアだけでも心情を描出している古靱と三代清六はそのまた上の別格だとも思い知る)
人形陣も手が鳴るという三業揃っての域にまで到達していたということ。
初日苦言を呈した庄司は見事に孔明首の性根を表現し得るまでになったし、
庄屋は少しでもズレると愁嘆場をぶち壊すKYになるところだが段切での存在理由に合致し賞賛すべき理想的遣い方。
「草履打」…岩藤が床人形ともに完成した。尾上は節付が美麗なるが故に哀切となる珠玉。無念も伝わる。段切の三味線がまた絶中の絶。
「廊下」…今回の初の出は気掛かりで気が急いてそわそわしている感が主。
「長局」…前半の床は辛抱の一語。初の描出が心中泣いてばかりで違和感もあり帰宅したくなる。
ところが初日散々だった後半が引き締まり衷心衷情伝わってこれはと思うと手が鳴ったのは我が意を得たり。「凝り固まりし烈女の一念」こうでなくては。
・展示室…折角の企画も入場料が必要と思われたらしい。こういう時こそ呼び込みをするなどボランティア活躍の場だろう。
・イヤホンガイド…割引のお知らせあり。利用者伸び悩みがそれを必要としなくなったという意味ではないのが悲しい。
・客席…舞台と一体感があった。やはり三業三位一体に観客との四者一体がないと最高の舞台は生まれない。
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